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Sunday 1 April 2007

『日本の弓術』オイデン・ヘリゲル柴田 治三郎 (翻訳)/Zen in the Art of Archery by Eugen Herrigel




弓術は、神秘的合一(ウーニオ・ミスチカ)、神性との一致、仏陀の発現へと通じる道である。
ドイツ人の哲学者オイデン・ヘリゲルは弓術を仮に、このように定義しました。「弓術の基をなしている精神的修練は、これを正しく解するならば、神秘的修練 であり、したがって弓術は、弓と矢をもって外的に何事かを行おうとするのではなく、自分自身を相手にして内的に何事かを果たそうとするある意味をもってい る。それゆえ、弓と矢は、かならずしも弓と矢を必要としないある事の、いわば仮託にすぎない。」
ドイツ神秘説に親しく、日本の精神文化に心を開いたヘリゲル以外、誰がこのように言えたでしょう。ヘリゲルは学生のころからドイツ神秘説を詳しく調べてい ました。そのとき、「これを完全に理解するためには自分には何かが欠けている」と悟りました。東北帝国大学での教職を受けたのは、日本を知り、そして生き た仏教への接触によって、神秘説の本質についての理解が、ひょっとしたら得られるかも知れないと思ったからでした。
「不撓不屈、ドイツ人特有の徹底振りで稽古を続けた」ヘリゲルは、呼吸法、筋肉の脱力の仕方、それらを習得して、1年 後には弓の正しい引き方を会得しました。しかし、工夫してみても先生のように矢を射ることができず、自分でその技術のコツを解明することを諦め、先生に告 白します。そこで、正しい矢の放ち方をするためには完全に無我になることだ、と教えられますが、納得できません。意志を持たずにどうやって的を狙い、矢を 放つことができるでしょう?そのようなことは実際にはありえず、何か技巧があって、ただ表面上無心でなされているように見えるだけなのだと考えるようにな りました。夏休みの間、この技巧を徹底的に研究したヘリデルは、夏休み明けの最初の稽古で、その成果を見せます。それは自分の目からみて見事な射方でし た。しかし、先生には無言で否定されます。
この短い体験記のクライマックスは、その1年後、弓術を習って4年目のことです。
精神的に射ることを理解も習得もできないままでいたヘリデルに、先生は夜中に訪問するようにと言います。
「私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い一本の蚊取線香に火をともして、それを垜(あずち)の中ほどにある的の前の砂に 立てた。(中略)的は真っ暗なところにあり、蚊取線香のかすかに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのありかが分からないくらいである。」そこで、先 生は第一の矢を命中させました。第二の矢は、第一の矢の筈にあたり、それを二つに裂きました。
これは、技術で到達できる、合理的に考えて可能なことではありませんでした。
信じがたいエピソードですが、この経験からヘリデルは無我の境地の存在を納得し、またそれによって到達できるところは、なじんだ合理的に説明できる結果を超えたものだということを知りました。
ドイツ神秘主義の、「最後の門」の前に立ち、しかも開くべき鍵を持っていないと感じていたヘリゲルにとって、これこそが鍵となるものでした。
「神秘的な生活、非有の中の有、これはまったく筆舌に尽くしがたく、また何物にもたとえることができない。それをみずから経験したことがない者には、言葉 ではそれが言い換えられるだけで、とうてい言い表すことはできないという事実を、知ることもできない。禅の書物にはなぜ逆説がおびただしく含まれているの か、参禅者が底のない(無限の)ものを思考をもって究めようとすることを最終的に断念するまではなぜそれらの逆説でみずからを苛むのか、そのことを理解す るためには、それをみずから経験していなければならない。経験があって初めて、無の概念があらゆる神秘説において決定的な役割を演じていること、しかもそ れがもっとも充実した、もっとも力強い、もっとも実在性のあるものを目指しているということが、理解される。(中略)神性と現世の生活との間には、完全な 忘我と明瞭な自我意識との間の同一の、立ちがたい関係がある。非有の中の有の経験が自己の経験となるのは、無我の境に移された者が自己存在の中へ、死者が 生成の中へ幾度でも投げ返され、そのようにして、自己の存在の軌道を越えたはるか彼方にまで意義を有するものを、自己自身について経験する、ということに よるほかない。」
東洋的な無我の精神と、マイスター・エックハルトの説いた離脱のそれとが、ヘリゲルの内で出会ったようです。