エドマンド・ホワイトは、(同性の)恋人、ユベール・ソランとパリで暮らしました。
1993年、彼らが同居する為に移り住んだアパルトマンの場所はパリの中心地で、シャトレ駅から歩いてすぐのロンパール通り(Rue des Lombards)にあります。
エドマンドの書斎の窓のすぐ下では、品のいい奥様といった感じの年配の娼婦が七、八人、交代で「営業」しています。すぐ側のサン・マルタ ン通りをいけば、浮浪者が周りをうろついているサン・メリ教会があります。
売春婦や浮浪者、旅行者、芸術家、地元の人々などが行きかう賑やかなこの界隈は、二人にとって居心地がよかったようです。調べてみると、マレ地区は当時からゲイが多いということで、それも当然だったかも知れません。
Rue des Lombards の地図 (http://bit.ly/bcyERX)
エドマンドの序文は、1994年、まだ32歳だったユベールの死のわずか2時間後に書かれました。ユベールは、「オーブリー・ビアズリーの絵にファ
ラオの風格が備わった」(エドマンド)イラストを描く、すらりとしたダンディーでハンサムな青年です。(1962年生まれ。エドマンドは1940年生ま
れ)
二人の共同作業により生まれたメモワール、『パリでいっしょに』は、パリの町並みと地元の人々の日常、外国人から見れば滑稽なフランス人の特徴、人々の奇癖、伝説的人物の逸話などで読者を楽しませます。一方、ユベールとエイズとの格闘は、一切描かれていません。
読んでいて思わず声を出して笑ってしまった話はいくつもあるのですが、そのうちのひとつ、浮浪者の話をご紹介します。
シャトレ界隈には、ボル・ド・リ(ご飯茶碗)と呼ばれているホームレスが出没します。彼は相当なファッション・センスを持っていて、コム・デ・ギャルソン
のスタイリストがついていると言ってもおかしくないようなコーディネーションで服を着ていることがしばしばあるとの事。着るものは、近所の人々や、サン・
メリ教会の向かいで古着などを売っている人々からもらったものらしい。
近所のフリーマーケットでブランド物を目ざとく発掘し、ただ同然で購入して着こなしている自分の家族を思い出さずにはいられない話です…。
最後のエッセイに添えられたユベールの「デッサン」は、二人の5年間がどのようなものであったか、エドマンドの愛情がどのようなものであったかを想像させます;
背景の描かれていない画面の下のほうに、「強情で意地っ張り」、垂れ耳のバセット・ハウンドが寝そべっています。ユベールが溺愛し た、二人の子供とも言える犬、フレッドです。その頭上には王冠が描かれています。
なぜフレッドに王冠が被されたのか…私はそれを思うと胸が熱くなってしまうのです。
なぜなら、「彼(ユベール)にとってわれわれの愛は、異性のカップルと何ら変わりない、神 々の祝福を受けた愛だった」ことを、エドマンドのその言葉以上に、雄弁に説明しているように思えるからです。
そのような愛で結ばれた二人の子供であるフレッドの絵は、二人の世界を慈悲深く守る王、王冠を被るべき貴い存在の、エンブレムのようにも見えてこないでしょうか。
『パリでいっしょに』 エドマンド・ホワイト著 中川美和子 訳 白水社
Our Paris Sketches from Memory by Edmund White and Hubert Sorin