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Thursday 19 July 2007

『鋼鉄の嵐の中で』エルンスト・ユンガー/In Stahlgewittern von Ernst Jünger



エルンスト・ユンガーは、トーマス・マンの死後、現代ドイツ文学で最も優れた作家とも言われています。第一次世界大戦を勇戦し、ドイツ軍人として最高の勲章 を受けました。第二次世界大戦中はパリのドイツ軍司令部に勤務しましたが、ヒトラー暗殺計画に関わったためにドイツ軍から追放されました。パリ滞在中の日 記には、ジャン・コクトー、ガストン・ガリマール、ジョルジュ・ブラック、ピカソ、ドリュ・ラ・ロシェルなど、当時パリにいた著名人が次々と登場します。 この日記の仏訳(Jardins et Routes)の出版により、ユンガーはフランスに多くの愛読者を持つことになりました。ミッテランもその一人です。終戦後は、ライプツィヒとナポリの大 学で動物学と哲学を修め、その後作家として執筆を続けました。その名の示すとおり – Junger – younger -、102歳まで生きた長命の作家でもあります。
ユンガーは第一次世界大戦の戦場での出来事を、ひとつひとつ冷静に日記に書きとめました。
ジャンヌ・ダルクとあだ名した勝ち気なフランス人少女との夕食、屠殺場と化す凄惨な戦場、放置されたまま腐敗する死体のなかの行進、日なたのなかで背伸び する猫のように体を伸ばし、まだ幼い顔に微笑みを浮かべて死んでゆく兵士、限界まで神経が張りつめられる夜間の作戦、草上でアリオストを読みながらの休 息、戦場で負傷した弟との再会とその救出、勇敢な戦友たちの死と自らの負傷の数々・・・。 アンドレ・ジッドはこの『鋼鉄の嵐の中で』を、「戦争について書かれた本のなかで、疑いなく最も美しい(incontestablement le plus beau livre de guerre que j’aie lu)」と書いています。
あるときユンガーは、ポケットから家族の写真を出して見せ、命乞いをするイギリス兵を見逃して助けました。致命傷を負って倒れ、自分の足にすがってきた兵 士の背をやさしくたたき、指揮する為にその場を離れました。またあるときには、塹壕戦で倒した敵の顔を、まじかに覗き込みました。倒れているのが、自分で はない理由があったでしょうか?兵士は運命論者にならざるを得ません。鋼鉄の嵐、戦場のなかでは、生死を分ける行動を選択する余地など、ないのです。

『鋼鉄の嵐の中で』には、ヘミングウェイにみられるような臆病さの気配も、 T.E.ローレンスのマゾヒズムも、『西部戦線異常なし』のレマルクの憐憫の情も見られない、とブルース・チャトウィンは書いています。「そのかわりに、 ユンガーは、人間の“基本的な”他人を殺す本能についての信念を提示する。-(戦争は)ひとつのゲームであり、もし正しくなされたなら、騎士道的な規範に 従うものなのだ」
ユンガーは、1918年カンブレー付近の絶望的な戦いで銃弾を浴びて倒れたときを、人生で本当に幸福だった数少ない瞬間でもあった、と回想します。 「その瞬間わたしは理解した、閃光のように、わたしの人生を、その構造の最も奥深く隠されたところで。」"真理の光は陽の光に似て、好ましい場所に刺すと は限らない"ー日記の迷宮のなかで、ユンガーは静かに語りかけてくるのです。



原書  In Stahlgewittern von Ernst Jünger
Das Begleitbuch zu Ernst Jünger ‘In Stahlgewittern’:
Footnotes to The Reader’s Companion to Ernst Jünger’s "In Storm of Steel" by Nils Fabiansson
ユンガーの『鋼鉄の嵐の中で』の脚注。(ドイツ語および英語)