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Friday, 20 September 2013

『マキャヴェッリについての考察』 レオ・シュトラウス / Thoughts on Machiavelli by Leo Strauss



「夕方になると、わたしは帰宅して書斎に入る。部屋の入り口で泥とほこりにまみれた百姓着を脱ぎ、いかめしい礼服に着かえ、堂々たるいでたちで古代の人びと の古代の宮廷へ入っていく。そしてそこで、かれらにやさしく迎えられて、わたしは、わたしだけのものであるあのごちそうを食べるのである。まったくわたし は、このごちそうを食べるために生まれてきたのだよ。そこでわたしは遠慮なく古代の人びとと語り、かれらの行動の理由を聞くのだが、かれらもこだわりなく わたしに答えてくれる。この四時間というものは、わたしは日ごろの憂悶を忘れ、苦悩を忘れ、困窮を忘れ、死ぬことさえ気にかからぬ。わたしは古人の世界に まったく没入しきっているのだ。」
- マキャヴェッリの手紙より (デ・サンクティス『イタリア文学史』 翻訳 在里寛司・藤沢道郎)

ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画を見ると、そこには愛嬌のある目差しを投げかけてくる陽気なフィレンツェ人がいます。「まじ めさと軽薄の、ほとんど不可能な結合」が、この陽気な書記官の精神のうちにはあったといわれています。丁度彼の著書に、真面目な教説と読者を楽しませる話 とが同時に見られるように。
目的が手段を合理化し、成功が蛮行を正当づけるという格言で悪名高いマキャヴェッリですが、デ・サンクティスによると、『君主 論』という小著と、「マキャヴェッリズ ム」なるものによって彼は矮小化されてしまったのであり、この「ボッカチオ精神に育てられたダンテ」(デ・サンクティス)である人物の偉大さは、正当に評 価されるべきなのです。
シュトラウスによれば、マキャヴェッリという人間の核にあったものは、人間について、人間の条件について、そして人間的な事柄についての考察でし た。彼はイタリアの精神を腐敗から救おうとしました。それはイタリアを蛮族から自由にするという政治的なものではなく、イタリアの精神的エリートを「有害 な伝統」から解放することで した。「有害な伝統」は、マキャヴェッリから見れば、あまりに人間の善性を信じすぎ、過度に観念的で空想的、女性的ですらあり、人びとの精神を軟弱なもの にし てしまっていました。その伝統として挙げられているものにキリスト教があります。キリスト教は敵に抵抗することより敵を柔軟に受け入れること、苦難に耐え ることを教え、行動より観想に重きを置くものでした。それらは、マキャヴェッリが祖国に見た破滅と腐敗を導きます。
ここに、彼の新しい教説がイタリアに必要な条件が揃います。
「若い知的エリート」たちに、マキャヴェッリは暗示的で謎めいた言葉で話しかけます。それは、読者がそれらに魅せられ気づかな いうちに、彼の「冒涜」に参加し、邪悪な思想(集団的利己主義)を自分のものとすることを狙ったものでした。マキャヴェッリは、死後何世代かのちに、新し い予言者として精神的な世界において勝利する事を計画しました。キリスト教がプロパガンダによって異教を打ち負かしたように、彼もキリスト教をプロパガン ダによって打ち負かせると信じたのです。
マキャヴェッリは社会に向かって問いかけます、「おまえは何であるのか?どこへ行くのか?」。
彼にとって、ヒューマニズムは不十分なものでした。人は自分自身を超えたところに行く存在であり、もし"supra-human"、超人間性へ上昇して行くことができないなら、"sub-human"、人間以下に、下降して行くものとして理解しなければならない、、、。
たとえ私たちがマキャヴェッリの教えが悪魔的なもので、また彼自身が悪魔だったと保証できたとしても、ある深遠な神学的真実を忘れるわけにはいかな い、とシュ トラウスは言います。それは悪魔が堕ちた天使だという事です。マキャヴェッリの思想の悪魔的な内容を認識するという事は、かつては高い位階に属した崇高な 精神とその思想の、倒錯してしまった姿を認識する、という事を意味するかもしれないのです。

Monday, 9 July 2012

『スーフィー論集』 S.R.ナスル / "Sufi Essays" by Seyyed Hossein Nasr

確かにわれは人を最も美しい姿に創った。
そして彼を最も低い身分へと落とした。
(クルアーン 95章 4-5)

自らの限界を超えようとする努力は、宇宙旅行にせよ薬物によるトリップにせよ、人がかつて享受していた「完全な状態」を忘れられず、また最も低く落とされた状態に満足することもできない証ではないか、とS.H.ナスルはこの本で書いています。
「もしまだ人が完全な状態で存在していたなら、人はそれ以上何も望むことはないでしょう。また、動物や植物と同様に感覚的な世界だけに生きることが自然で本来的なものなら、その場合もまた人はそこに留まるでしょう。」
しかし、(とナスルは続けます)クルアーンに記されているように、人はそもそも「最も美しい姿」に、「神の似姿として造られた」のであり、いつの時代に あっても、ある高みをめざそうとする努力が地上で絶えたことはないのです。人であるということは、人である状態を超越しようとし続けることであり、あるが ままの状態に留まり満足するということは人間以下の状態への堕落ですらあると言います。
宇宙旅行や薬物による超越が代替でしかないとしたら、人はどこへ真の超越を求めて向かえばいいのでしょうか。
ナスルによれば、向かうべきは神から来た道ー啓示宗教における神秘主義であり、これを辿ることによってのみ、人的限界を超えようとする神秘的探求は成功へ導かれ得るのだそうです。
似非神秘主義の目的が精神の崩壊・分解であるのに対し、真の神秘主 義の目的は神的原型への同化にあります。(ここで神秘的(mystical)であるとは、本来の意味においてであり、それは神聖な神秘’divine mysteries’、知性と理性の源に関わり、個人の非合理的な感傷や幻想、オカルティズムなどとは無縁のもの、と言われます。)
スーフィズムはイスラームにあってそのような完成-神的原型への同化へ至る道(真の神秘主義)のひとつであり、人々に自分が本当は何者であるかを思い出させようとするものなのです。

(2019.09.21)
ところで、先日デンゼル・ワシントン主演の「Flight」(2012)を見ました。終盤に主人公は難しい質問を投げかけられます。試練を乗り越えたこの映画の主人公は、 good question, と時間を稼ぐのですが、そのあとどう続けたのか…気になりました。

Sunday, 23 May 2010

『パリでいっしょに』 エドマンド・ホワイト/Our Paris Sketches from Memory Edmund White and Hubert Sorin

エドマンド・ホワイトは、(同性の)恋人、ユベール・ソランとパリで暮らしました。
1993年、彼らが同居する為に移り住んだアパルトマンの場所はパリの中心地で、シャトレ駅から歩いてすぐのロンパール通り(Rue des Lombards)にあります。
エドマンドの書斎の窓のすぐ下では、品のいい奥様といった感じの年配の娼婦が七、八人、交代で「営業」しています。すぐ側のサン・マルタ ン通りをいけば、浮浪者が周りをうろついているサン・メリ教会があります。
売春婦や浮浪者、旅行者、芸術家、地元の人々などが行きかう賑やかなこの界隈は、二人にとって居心地がよかったようです。調べてみると、マレ地区は当時からゲイが多いということで、それも当然だったかも知れません。
Rue des Lombards の地図 (http://bit.ly/bcyERX)
エドマンドの序文は、1994年、まだ32歳だったユベールの死のわずか2時間後に書かれました。ユベールは、「オーブリー・ビアズリーの絵にファ ラオの風格が備わった」(エドマンド)イラストを描く、すらりとしたダンディーでハンサムな青年です。(1962年生まれ。エドマンドは1940年生ま れ)
二人の共同作業により生まれたメモワール、『パリでいっしょに』は、パリの町並みと地元の人々の日常、外国人から見れば滑稽なフランス人の特徴、人々の奇癖、伝説的人物の逸話などで読者を楽しませます。一方、ユベールとエイズとの格闘は、一切描かれていません。
読んでいて思わず声を出して笑ってしまった話はいくつもあるのですが、そのうちのひとつ、浮浪者の話をご紹介します。
シャトレ界隈には、ボル・ド・リ(ご飯茶碗)と呼ばれているホームレスが出没します。彼は相当なファッション・センスを持っていて、コム・デ・ギャルソン のスタイリストがついていると言ってもおかしくないようなコーディネーションで服を着ていることがしばしばあるとの事。着るものは、近所の人々や、サン・ メリ教会の向かいで古着などを売っている人々からもらったものらしい。
近所のフリーマーケットでブランド物を目ざとく発掘し、ただ同然で購入して着こなしている自分の家族を思い出さずにはいられない話です…。
最後のエッセイに添えられたユベールの「デッサン」は、二人の5年間がどのようなものであったか、エドマンドの愛情がどのようなものであったかを想像させます;
背景の描かれていない画面の下のほうに、「強情で意地っ張り」、垂れ耳のバセット・ハウンドが寝そべっています。ユベールが溺愛し た、二人の子供とも言える犬、フレッドです。その頭上には王冠が描かれています。
なぜフレッドに王冠が被されたのか…私はそれを思うと胸が熱くなってしまうのです。
なぜなら、「彼(ユベール)にとってわれわれの愛は、異性のカップルと何ら変わりない、神 々の祝福を受けた愛だった」ことを、エドマンドのその言葉以上に、雄弁に説明しているように思えるからです。
そのような愛で結ばれた二人の子供であるフレッドの絵は、二人の世界を慈悲深く守る王、王冠を被るべき貴い存在の、エンブレムのようにも見えてこないでしょうか。



 『パリでいっしょに』 エドマンド・ホワイト著 中川美和子 訳 白水社

 Our Paris Sketches from Memory by Edmund White and Hubert Sorin

Wednesday, 29 July 2009

『宮廷画家のプリンス』アーサー・シモンズ/A Prince of Court Painters by Arthur Symons


白いシンプルな靴にはやわらかい珊瑚色の大きなリボン、踝のみえる短めのズボンをはき、白くてだぶだぶのシルクの上着を身に着けています。その上着 には、襞のある扇形に広がる特徴のある襟がついています。なにやら丸い帽子をかぶり、脱力した両腕を脇にたらし、穏やかに開いた眉の下にやさしげな目を輝 かせています。
憂いを帯びた微かな微笑がそのピエロの衣装と対照をなし、広いルーブルで数々の絵画に食傷気味になった鑑賞者をさえ、立ち止まらせるのです。
「優雅な宴」(fêtes galantes) で知られる画家アントワーヌ・ヴァトーはいつも病気がちで、その為にあちこちを転々としました。晩年にはよい医者がいるというのでイギリスにまで渡りまし た。それでも、健康になり、たずねて来る友人にも邪魔されず、静かに作品に没頭したいというヴァトーの希望は生涯かなわなかったようです。イギリスから 戻って数ヵ月後に36才の若さで病死しました。
青年のころから、彼は自分自身の 人生の喜びや欲望には興味を失っていました。その代わり、他人の人生を観察することに喜びを見出していました。数々の優美な宴、幸福が閉じ込められている ような庭(T・ゴーティエ)、そこで楽しげに手を取り合う恋人たちーこれらは批判的で憂鬱な傍観者の覚めた筆により描きだされたのでした。
刹那的に生き、夢想に身を委ね、幸福に頬を輝かせている女性たちー彼女たちの姿を素晴らしく魅力的に描き出しつつも、彼はそのような人々と交わり同様に生きたいとは思いませんでした。
ヴァトーは悲しみと羨望を感じながら、情事
(la galanterie)のはかないうわべだけの美しさを観察します。そしてそれらに、敬虔と言ってもいいほどのまじめさを与えました。これこそ、他の軽薄な絵のみを残した画家たちにできなかったことでした。
悲しいお祭り騒ぎーヴァトーの絵画はリュートやクラヴィコードで奏でられる悲しげな音楽なのだ、とアーサー・シモンズは言います。弦は啜り泣きし、クイル(ハープシコードの弦を弾く爪)は空疎な音をたてる。ヴァトーの色彩は、常に色あせたものの色であり、枯れかけたバラの花びらの色なのだ、と…。
ウォルター・ペイターは、ヴァ トーの唯一の弟子であったジャン・パプティスト・ペイターの妹の日記という体裁を取って、ヴァトーの肖像を描きました。アーサー・シモンズはこの想像的肖 像(Imaginary Portrait)に、ヴァトーのすべてが完璧に描き出されていると書いています。
原書 : Colour Studies in Paris by Arthur Symons (1918)


Monday, 5 May 2008

エルンスト・ユンガーの日記/ The Diaries of Ernst Jünger by Nils Fabiansson


Junger’s notes
(c) Nils Fabiansson
2008年2月、モレスキンの手帳愛好家によるブログで(現在はモレスキン社が所有する)、エルンスト・ユンガーの手帳についての記事が投稿されていました。
ここにご紹介したいと思います。(著者の了承を得て全文を訳してみました。)
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2008年2月17日日曜日は、作家であり哲学者であり、また日記作家としても名高いエルンスト・ユンガーが102歳で永眠してから10周年の記念でした。ユンガーは自伝的戦争記、『鋼鉄の嵐の中で - 前線におけるあるドイツ突撃隊員の日記』("In Stahlgewittern"、英訳("The Storm of Steel.  From the Diary of a German Stormtroop Officer on the Western Front")の出版により知られるようになりました。ユンガーは第一次世界大戦(1914-1918)を経験し、ほぼ4年に渡る西部前線の塹壕生活で、 16冊のポケットサイズの日記ノートを埋めました。「一山ほどの」と彼の言うとおり、それは1500ページにもなります。*1
日記のほとんどは、「戦争日記」(Kriegstagebuch)と題されています。 最初の7冊のノートはどれも暗緑色のハードカバーで、残りのものは全て異なる体裁と色です。いつくかは罫線入りですが、白紙や正方形のページのものもあり ます。"Fauna coleopterologica douchyensis"(Douchy昆虫誌)というタイトルが付けられている薄い大きなノートは、塹壕で発見された143の甲虫の記録です。ノートに は、一日何件も書き込みをしている期間があります。ある期間-ほとんどは休暇や休戦中ですが-は、全く記入がありません。当日ではなく数日後に書き込まれ ている期間もあります。ノートは判読しがたい古い筆記体*2の ドイツ語で、灰色もしくは青い鉛筆か、黒や緑、または紫のインクで書かれています。削除されたり、取り消し線を引かれたり、また切り取られた箇所は日記に ほとんどありません。約40余りのスケッチがあり、余白に書き込まれたものから、1ページ全てを使って描かれた絵や地図まであります。また、注釈が後から 書き込まれていたり、メモ、切抜きなどがカバーに挟みこまれていたりします。
エルンスト・ユンガーは出版された本の中で、日記のノートや、それらノートと読書中の本を一緒に入れておいた特殊な地図のケースについて何回か触れています。また、日記をつけていた時間についても書いています。
「長期間、戦争に参加したり珍しい状況にある人には、とぎれとぎれにメモを残すよりも、毎日日記をつけるようにアドバイスしたい。それは後日、書いたときの状況を思い出す記憶の鍵となるだろう。( 略-)これらは書き手に経験の本質を理解することを強要し、そして彼を – 一日数分間時間を割くだけで -
見慣れた環境より高いところへ押し上げ、傍観者の位置につかせる。日常の経験が新しい姿で現れるだろう。丁度見慣れた風景が、スケッチしようとした途端に全く違って見えてくるように。
(-略-)生死にかかわる事でない場合、新しい事実を日々まとめる事は考えるよりも労力を必要とするものだ。(-略-)いずれにせよ、観察する努力はノートをとる習慣と調和する。また、人が数年しか経験できず2度と同じような状況が発生しないような特定の状況にいるならば、それらの比類の無い特徴を理解すべく、注意深くならざるを得ないだろう。」
また、戦争中の日記ノートそのものについても、詳細に記しています。
「しばしば書き込みは注意深くインクで書かれている。;そして私はそこから直ちに、私が南フランスやフランダースの小さなコテージでゆったりと座っていたことを、あるいは私の塹壕の前の静かな場所でパイプをくゆらし、最悪でも遠くで鳴っている、夕方最後の偵察をしている偵察機の飛行音にしか邪魔されなかったことを思い出す。
そしてその後には、支離滅裂で歪んだ鉛筆書きの数行がある。それらは攻撃前の、込み合った地獄のような塹壕の蝋燭のかすかな明かりで、あるいは果てしなく何時間も続く大量爆撃の中、走り書きしたものなのだ。
しまいには、動揺した言葉遣いや、判別ができない文字がある。
それらは地震を記録している地震計の波線に似ていて、文字の語尾が急速な書き込みのせいで空中に消えたりしている。-おそらく攻撃のあと、破片が紙の上に 落ちてきたに違いない。殺人蜂の大群のようなマシンガンの弾に襲われたあとの、爆撃でできた穴やところどころ寸断されている塹壕のなかで。」
ユンガーは晩年まで日記を書き続けました。最後に出版された日記は、1997年出版の"Siebzig verweht V"です。ユンガーのノートは、ドイツ公文書館に保存されています。
*1 出版された"In Stahlgewittern" (邦訳:『鋼鉄のあらし』佐藤 雅雄訳 /先進社/1930年)はこれらのノートに基づいている。
*2 現在では使用されていない筆記体で、読める人も少なくなっている。
Sütterlinschrift (Sütterlin script), もしくは Sütterlin(ウィキペディア 英語の説明)

『鋼鉄の嵐の中で』の詳しい情報については、下記ブログで公開されています。
"Das Begleitbuch zu Ernst Jünger ‘In Stahlgewittern’"
[http://stahlgewittern.blogspot­.com/]

著者について:
ニルス・ファービアンソン(Nils Fabiansson)
スウェーデン人の歴史家・考古学者、ストックホルム在住。『鋼鉄の嵐のなかで』の案内書(Begleitbuch zu Ernst Jünger ‘In Stahlgewittern’)を執筆。この案内書は2007年12月にドイツで出版されました。内容はドイツ語で、フルカラーのイラストや写真が掲載されています。
また、これまで未出版だったユンガー直筆の図面も数枚掲載されています。

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原文:
The Diaries of Ernst Jünger
[http://www.moleskinerie.com/2008/02/the-diaries-of.html]

『鋼鉄の嵐の中で』の案内書(ドイツ語):
Begleitbuch zu Ernst Jünger ‘In Stahlgewittern’ [Illustriert] (Broschiert)
von Nils Fabiansson (Autor)